ペレの後継者ロドリゴ・タバタ「夢は日本代表」


ペレの背番号を受け継ぐ男・サントスMFロドリゴ・タバタ
 ブラジルでいま、話題になっているのがサントスのMFロドリゴ・タバタ(25)だ。今季ゴイアスから移籍し、ブラジルの英雄ぺレの代名詞だったサントスの「10番」を与えられた。1月に開幕したサンパウロ州リーグでも活躍し、元ブラジル代表監督のルシェンブルゴ監督も高く評価している。
 「サントスでレギュラーになれたことはすごく満足しているし幸せだ。とくに両親が喜んでいる。なんとかタイトルを獲りたいね」

 ロドリゴが注目を集めたのは2004年、ゴイアスに移籍したシーズンだった。全国選手権で司令塔として活躍。中盤から前線に決定的なパスを送るプレーは光った。ロドリゴ自身も「得意なプレーはFWにパスを通してゴールを決めさせること」と言う。チャンスメークだけではなく、この年は8ゴール、翌05年も10ゴール決めてゴイアスのエースになった。ジーコも評価したことでロドリゴは注目されるようになった。そして今季ついにサントスに移籍し、ビッグチャンスをつかんだ。

 ロドリゴが生まれたのはサンパウロ州内陸部のノーヴァ・ルジターニア。父・ノボルさん(53)の両親が日本からの移民で日系3世になる。ノボルさんもサッカー選手を目指したが、夢はかなわなかった。多くの日系人がそうだったように、生活するために働かなければならなかったからだ。両親はロドリゴの才能を見抜いて夢を託した。もちろんロドリゴも努力した。練習に打ち込む一方で、13歳から朝5時に起きて農園でアルバイトをし、お金を稼いだ。15歳の時にサンパウロから約100㌔にあるパウリスタの下部組織にスカウトされて入団した。練習しながら独学で高校卒業の資格も取った。勉強とサッカーを両立させることはブラジルではまれだった。

 「父は生活のためにサッカーをあきらめた。いつも僕のことを応援してくれて、スタジアムにも来てくれた。祖父(2001年に亡くなったアントニオさん)が生きていたら、今の成功をどんなに喜んでくれただろうか。厳しい時代もあったが、それを支えてくれた家族に少しでもいい生活をしてもらいたい」ロドリゴはこう言って、遠くを見つめた。2004年に亡くなった祖母ミサオさんも試合前にいつも電話を掛けてくれた。そして日本語で「頑張って」と励ましてくれた声はいまでも耳に残っている。ロドリゴを支えているのは日系人としての誇りと、苦境の中からはい上がったエネルギーなのだ。

 6月22日、ワールドカップ1次リーグでブラジルは第二の故郷・日本と対戦する。

 「一番にブラジルを応援するが、日本のサッカーはすごく成長している」と、ちょっぴり複雑そうな表情を見せる。そして、将来は「日本に帰化して日本代表になるという夢もある。いままで何人ものブラジル人が日本代表になったけど、みんな顔はブラジル人。日本人の顔をした人がいてもいい」と、日本代表入りをアピールする。

 ルシェンブルゴ監督からは「目的を持って、きちんとやれ」と言われているだけで、今まで通りにプレーするように言われている。全幅の信頼を得ている証だ。

 「祖父母が日本からブラジルに来たのだし、自分の起源はすごく大事だと思っている。ブラジルの日系社会の代表として頑張ってきた。いつか日本の人たちにこうやって頑張っている姿を見せられたらうれしい」と、ロドリゴは誇らしげに言った。(サンパウロ通信員・大野美夏)



ロドリゴと一問一答≫

――サントスで10番、ペレの後継者だ。

 「ペレはサントスでもブラジル代表でも変えられない存在。ブラジルの歴史をつくった選手だ。ペレのあとにも何人もの10番がいた。今度は僕の番。僕のクオリティーを見せて自分の歴史をつくりたい」

――日本はどう?

 「行ったことがないけど、祖父母は一緒に住んでいたから。祖父母はポルトガル語は完ぺきではなかったけど、僕たちとコミュニケーションは取れたし、日本料理をよく作ってくれた。祖父が川で釣ってきた魚を祖母が刺身にしたりね。妹は刺身のさばき方も知っているよ。」

――日本のサッカーは。

 「日本から帰ってきたチームメートに聞くと、落ち着いてサッカーができるのがいい」

――日系人であるがゆえに苦労したことは。

 「下部組織にいたころはプレーをしているのを見たことがないのにいろいろ言われたことはあった。自分のクオリティーを見せれば認めてもらえる。僕はここまでそうやって乗り超えてきた」

――好きな選手は。
「中田。すごくいい選手だ。僕と同じ司令塔で、テクニックがあってゲームを支配できる」

――W杯は?

 「テレビで見る遠い夢の世界だと思っていたが、サントスに来てルシェンブルゴといういつブラジル代表監督に復帰してもおかしくない指導者の下でやれて、夢が現実になるかもしれない。ルシェンブルゴはいままで出会った他の監督とは違ってすごく厳しいが、目的を持っている監督だ」


ロドリゴ・タバタ 1980年、11月19日、サンパウロ州ノーヴァ・ルジターニア生まれ。1メートル71、69キロ家族は父・ノボルさん(53)母・クレウザさん(45)妹・レナータさん(23)ロベルタさん(21)。
http://www.sponichi.co.jp/wsplus/column_w/04677.html